文京うまれ

自由と知性

生き残ることについて

老人の詐病が多く、心を痛めている。

 
寂しくなると痛いふり、苦しいふりをする人が現実にいるのだが、彼らのためにならないのは明白である。
 
 
 
65年もタバコを吸ってきた人が「苦しくなったらどうしよう」と言うのはリアリティがなさすぎる。(具体的にCOPDの指導はされているわけだし、ドラマのセリフに影響されたんだろうか)基本的にピンピンしているのに。
91年も生きてきて、80歳ぐらいの頃「いつ死んでも良い」と言っていたその覚悟をどこかに置き忘れてしまった人をみるのは心が痛むのである。
 
 
追記:将来を不安がる老人を見ると、彼らが今まで世話になった人々(俺を含めて)を愚弄していると感じてしまう。91年も生きれば、何回かは急病になり、家族に、救急隊に、俺に、病院のナースや先生方に、助けてもらったことが何度もあるのが普通だ。これだけ助けてもらったからもう十分です、と何かあったときに死を選ぶならまだしも、次は助けてもらえないんじゃないかと不安がるというメンタリティ。それは俺にとっては見るのが辛い老人特有の闇であって、正直に「あなたに尽くしてきてこれだけ愚弄されている俺の立場は?」と伝えるべきかいつも考えてしまう。