文京うまれ

自由と知性

経験が少ない先生はリスクの見積もりを誤る

これは大学教授クラスでも容易に起きうる失敗だと思う。

 

ある病気があるとする。定期的に発作を起こし急に悪くなることがある。要するに自己免疫疾患だな。発作時にはなるべくはやく処置をして進行を回避。

 

その病気についてはサルベージ手術があるとする。手術自体のリスクはあるが、すでに発作によって生じた障害や、今後の発作をある程度の期間回避することが可能だ。

 

そこで手術予定になって待機していた時に、「もう少し大丈夫なのじゃないか」と手術のリスクを回避しようと、患者と治療者の両方の思考が働いて、ぐずぐずしているうちに次の発作が来てしまい、もう手術をしても意味のない状態まで速く病気が進行した。

 

これは一見するとしょうがないような選択だったようにも思うけれど、そこでの名医の判断は違う。

 

「手術回避っていう判断をするならさあ、次の発作をどう早く捉えるかっていう工夫したわけ?発作の兆候がつかめさえすれば緊急手術で回避できたじゃん」

「例えば?」

「この場合患者も医者なわけだから、毎日病院にいるわけで毎日検査できるじゃん。一般人が患者さんだったら毎日検査に来てもらうのはなんのために手術を延期しているかのメリットが帳消しにされるから自分なら即手術だ。でもそもそも手術回避っていう選択肢が出たのも患者が医者だからじゃん。手術のリスクがどーのこーの言い出すのは大抵は患者が医者の場合なわけで実際今回もそれで起きた悲劇なわけじゃん。だったら逆にやることがあるでしょっつーこと」

 

と、患者本人に言ってた。

 

リスクの見積と回避の方法について名医なりの知見を伺うことが出来た。

もちろん名医だって悔しい思いはいっぱいしているわけだ。こういうのを失敗学と言うんだけれど、この分野での知見をどのように共有できるかっていう問題がある。

若手医師セミナーなんて良いんじゃないの、とは思うがどっちかっていうと失敗談が少ないのが問題だよね。

 

もう一つ付け加えるとすれば、この患者自身に問題がかなりある人(同業者なんだけど)で、ワーカホリック+αで無理をしまくる。なので手術を延期するなんてとんでもなくて行動制限をしっかりかけなければならなかった。