文京うまれ

自由と知性

「私の癌にはこの薬しかなく、この薬が効かなかったらもう方法はない、そう言われたのです」

「私の癌にはこの薬しかなく、この薬が効かなかったらもう方法はない、そう言われたのです」
「なるほど、あなたの気持ちはわかります。一方で医者の気持ちもわかるかもしれない」
「私はそれを聞いて、なにかとてもがっかりしてしまい落ち込んでいます」
「確かに自分もがっかりするかもしれません。ちょっと調べさせてくださいね、パンフレットお持ちですか?あ、これですね。了解です」

すると切除不能なその癌の治療薬は確かにそれしか認可されていない。
にしても、割と最近の薬なので、その前はその癌の治療法はなかった、という事になるのですね。となれば、患者さんとお医者さんにはだいぶ温度差があるかもしれない。

「お医者さんとしては、最近まで治療法がなかったのが、今は手段があるということをあなたに伝えたいわけですから、非常にポジティブであろうと推察します。そしてこれが効かなければ他には方法はない、という伝え方は私には孫氏の兵法である「背水の陣」かしら?という印象です。背水の陣っていうのは、自分の兵隊を追い込むことで彼らの実力を100%以上発揮させる手段であると理解しています。この治療しかないよ、とあなたを追い込むというと語弊があるけれども、あなたにあなたの実力の100%以上を発揮してもらうための一言だったのではないかしら?と勝手に想像します。あなたは最近その薬が使われだしたということはご存知ないし、これ一つしかないのかしら、とがっかりするかもしれないのだけれども、そういうニュアンスではないのですよ、ということを理解して欲しいんです。わかりますか??」

実際にはもうちょっとグダグダ話していただけれど、それで患者さんの気持ちは切り替わったらしくて、化学療法になるとこんどは腫瘍内科っていう科の先生がやってくださるとか、その先生を調べたらきちんとした専門家らしいので私は安心だとかそういうことを話してくれました。

「これが効かなかったら、もうほかにはない」という説明の仕方は過去にも聞いたことがあって、その時はその時で別の説明をしたかもしれませんが、主治医の先生がそういう言葉を選んだという理由がわからなかった。でも孫子をちょっと読みました。背水の陣ていうのは仕方なくそうなっちゃったんじゃなくて、最初からそういう作戦なんだとわかりまして、なるほどこの言い方は「破釜沈船の計」の故事と似てるじゃんねー、ということを今回は患者さんに話しました。自分にとっても主治医の気持ちの一つの解釈ができたので良かった。

患者さんが途中で自分の「あなたが前向きになることによって、免疫力は大きく変わります」という言葉に大きく反応したんですけど、この一言は自分にとってはおまけみたいな一言でしたけれども患者さんにとっては大切だったんでしょう。免疫力というバズワードは自分は好きではないのですが、患者さんに力を与えるためなら手段はなんでも良いか、と自分を納得させました。