文京うまれ

自由と知性

見えている未来

主に英語の文献を読むようにしている理由は、なるべく未来を俯瞰的に見ましょうという姿勢の研究者が多いからかもしれない。

 

例えば総合医というような概念があって、欧州とか米国にはそれっぽい役割の医者がいるけれど、日本の場合はなんちゃってだから、少し温度差があって、日本だと「総合医」という名のマニアの集団になってしまうことに違和感を感じている。

 

いやいやいや、必要最低限の線を決めることが大切なのよ、本当は。

 

最近読んだ文献で、家庭医はこれをやっとけみたいな概念をヨーロッパの学会が書いていていちいち頷きながら読んだんだけども以下に列挙しておきます。

①家庭医はコミュニケーションが取れなくちゃだめで、その最適なトレーニング方法を欧州では探しているみたい。今の所一番良さそうなのは即時型フィードバックで、外来やってるそばからダメ出しが入る形式。患者の事を考えてもそれが一番良さげ。

②患者のインテリジェンスが治療効果のかなりを占めてしまうわけで、それをきちんと把握できるような問診システムを作ったらかなりいけてる。これは自分もやっててニヤリとした。

③同様だけど、患者がちゃんと説明したことを覚えたかどうか、医者が説明すべきを説明したかどうか、そういうのはコンピューター使ってフォローアップできるし、やったほうが良い。

④複雑な病態の把握をするのには今までの統計学的手法は再現性が低くて、マルコフモデルなど別の方法が良さげ。むしろ医者がやってる因果関係のうんたらかんたら的なものはもはや占いと同じレベルで、すべて偶発的なものだぐらいに解釈したほうがまし、今の所は。うんうん。

⑤いろんな指標で患者の評価をするけどQoLについてはまともな評価方法がないんじゃないの?とはいえ、いろんな評価方法を取り入れてデータ化しておくほうが良いし、いろんなデータから患者の入院予測ができたり実際にするんだから、コンピューターに任せてしまおうよ。

⑥めちゃくちゃ地域差があるので、一つのエビデンスやモデルを他の母集団に当てはめるっていう時代でもなくない??

 

とまあ、こんな感じで、自分が問題だと感じていること、つまりコミュニケーションについてばらつきが大きすぎる事、因果関係を決めつける医者が多すぎること、データベースを活用してる医師が少ないこと、いろんな「俺の指標」を作りすぎてること、などはやはり問題だと思われてるみたいで、コンピューターが全部を解決してくれそうなので、あとは放っておけば良いのかな、的な。