文京うまれ

自由と知性

医療不信

たくさんの医療不信の人を診てきたけれど…

 

 

1)医療不信に陥る人には、その人が悪いって面と、医者が悪いって面と両方がある。

 

2)「どうして先生のように診断・治療できなかったんでしょうか?」って言われるけれど、それは無理な相談だろう。そういう質問をする患者に認知のずれがある。そのずれを見越して手助けするような医療は破綻するのだから。近藤某がのさばる隙がこの世の中には確実にある。(俺が精一杯レスキューしても患者は「コイツが出来るものをどうして他の医者が出来ない?」と不信感をつのらせるだけであり、そういう考え方自体を救うということは難しい)

 

3)「じゃあ、私達みたいなのは見捨てられるんですか?」って言われるけれど、とても失礼だなと思うしそれも認知のずれだ。希望があるとすればICTだ。あなたはすべてをコンピューターに委ねる覚悟があるかと聞きたい。

 

4)実際80億人に医療を提供するならコンピューターが全部すべきだろう。

 

5)自分はイチローぐらいの打率を目指しているよ、といつも患者には言ってる。正診率3割キープできていれば上々、と。幸いほとんどの病気は自然に治り、そうではないものの中から器質的に深刻なものと、精神の病とに分けていく作業を丁寧にするかどうかだけが他の医者とは違うが、本来その作業をきちんと医者と共同作業出来る人は医療不信にはならないものだ。

 

6)医療不信におちいる人は、自分だけは大丈夫みたいな根拠のない自信が最初にあって、それが崩されたトラウマをずっと引きずっている人のように見える。

 

7)それに対する自分の答えが、「機械的」である。自分の診断プロトコルをコンピューターが再現できるか、と常に考えながら診療をしている。自分の診断プロトコルはやや独特である。自分の過去のデータベースへの問い合わせを反復していく。その中には様々な未解決事件がある。たまたま過去に類似の症例があった場合、二症例集まることにより、一気に二人分解決する、という事が良く起きる。細かくはすべてデータベースへ入力してあり、自分の頭のなかには数万人分のインデックスのみを保持している。あなたの場合はこういうプロトコルで診断しました、抜けがあるとすればここです、医療費や時間の問題でこれは検査しません、ダメなときはこうします、ぐらいは説明している。

 

8)そうした機械的な俺の診断方法で、どうして医療不信をまねかないのか逆に不思議だ。

 

 

 

 

6)で思い出したんだけど、世間的には名医、ほんとうはやぶ医者という人がいて、その人が患者を初診で(全然良性の病気でも)「お前は死ぬ」と奈落のそこに突き落とすのを思い出した。その結果として患者は鬱にはなっても医療不信にはなってない。医療不信がないんだから良いのかというと、これはこれで別の社会問題だと思う。何しろ「自分はもうだめだから」と言って協力してくれないのだから。近藤某はこれに似ているな。