文京うまれ

自由と知性

どうして口コミが嫌なのか

俺は口コミが大っ嫌い。

口コミで来るのとかもうどーでも良いよ、と思っている。

 

一応、理由はある。

 

自分の力で俺を見つけた患者の挙動。(オリジナル)

1)俺に対する畏怖

2)俺が書いた論文なんかは全部読んで、その上でこっちの実力はわかってる。(さらに畏怖)

3)出来ればかかりたくないけど、それでもかからざるを得ない理由がある。

結果)自分が思ったとおりの実力だったらしくて満足。さらにすごく優しかったとびっくりして帰る。

 

その友人

1)俺の事を知らないわけじゃない。

2)やはり俺の事を相当下調べする。

3)やはりかからざるを得ない理由がある。

結果)やはり満足して帰る。優しくされて感激して帰る。

 

この辺りまでが限界。

 

さらにその友人(この辺りからおかしくなってくる)

1)俺の事を知らないわけじゃない。

2)ある程度は下調べしている。

3)ほんとにかからなくちゃいけない理由あんの?

4)俺も面倒くさくなってくる。

結果)どっちにしろ満足して帰る。

 

さらにその友人(完全におかしい)

1)俺の事は知ったつもりになってる。

2)また聞きで、すげー良い先生みたいな事になってる。畏怖もなんにもない。

3)特にかからなくちゃいけない理由はない。どこにかかっても同じだろ。

4)いい加減にしろよてめー、な俺。

結果)どんなに頭に来ていても全力投球するので患者は満足。俺は不満足。

 

つまり、

医者ってのは命にかかわる事するので、畏怖があるのが当然だ。

だから必死で「この医者は大丈夫か」って調べるんじゃないの?

そういう患者にはある程度の節度と、医者にかかるにふさわしい理由がある。

これが口コミになると、

どんどんと畏怖も受診理由も薄まってしまってカジュアル受診になる。

これがほんと嫌。