文京うまれ

自由と知性

告知

自分の告知はいつもグダグダで、

ずいぶん長い時間がかかる。

 

ます腫瘍を文学的に表現することからはじまる。

部位、

色、

色の変化、

辺縁の形、

植物で表現してみたり、

他の臓器との関係、

などなど。

 

それらは患者さんにとっては必要な情報じゃあないかもしれない。

そうじゃないけど、自分のために重要なんだ、と思っている。

 

細胞の結果が出て確定する前にこういう話をはじめる。

で、例えば良性ならこういう病名だよね。(注)

例えば悪性ならこういう病名だよね、と語る。

 

良性ならばこういう治療で、悪性なら、さらにこういう検査をして方針決めるよね、みたいな話。

 

そこら辺になると患者もいろいろ思うところが出てきて、

ご飯は今までどおり食べて良いのとか、

入院するとしてどのくらいの長さになるのとか。

 

で、先生、ぶっちゃけ先生は、癌だと思ってるの?って聞かれるのよね。

そう、その質問が出るまでグダグダ言うわけ。

 

そのときに、6:4で癌、とか言うわけだわ。

でそこから、(注)の部分までもう一度会話は戻る。それで今度は6:4で癌、という前提で話し始めるわけだ。

 

そこで大切なのは自分だってまだ組織型まで確信が持ててないって事だ。

そして十分に患者さんのムードの影響を受ける。それも重要なこと。

話しているうちに自分も前向きな気持ちになることがある。

 

要するにこういうグダグダした告知っていうのは自分の精神を保護してるんだ、って考えている。

そして案外こうして話し合った結果というのは当たっている。(ステージがね)

 

ものすごく沢山の告知をしてきたけれど、いつもこんな感じでカッコ悪い。