文京うまれ

自由と知性

ゲーム脳

なんの事件を見ても、

「ゲームのせいかも」

なんてFacebookに投稿している60代医師なんかを見ると、

「ちゃんと勉強してます?患者さん診てます?」

って思っちゃう。

むろんそういう人に限って自己満の「患者さんに喜ばれました」投稿をしているんだけどね。

 

今の秀才君達見てると、例えばゲームの裏技を見つけるかのように、

数学の別解を見つけたり、

同じ問題を何週もして完成度を高めて行ったり、

ひどく楽しみながら思考力を身につけている。

むろん東大模試での偏差値は70overで、国内には挑戦すべきは理Ⅲぐらいしか残ってないのだ。

それ以外が簡単すぎて逆に風邪引いたらどうしようみたいは変なプレッシャーになるから嫌だ、ぐらいの。これもある意味ゲーム脳だ。

 

なんでも「ゲーム」だとか、ものを型にはめてしか見られない世代はテレビ脳と呼ぶべきか。型にはまった人間が多い。少しずれた人々はむしろ成功出来て良かったんじゃないか、と、「ガロ」周辺の人々の動きを見ると思う。凡庸な人々も生活が出来、多少優れていれば成功が出来る。

 

今の若い人々はそれらの人々よりもはるかに品があり、優秀だと思うけれども「普通」であれば生活にも苦労するのだろう。それが世界的には平均的な世界だとは言え、10年後に呆けまくったテレビ脳にどう対処していくかという重しをのせられているわけだからフェアではないかもしれない。