文京うまれ

自由と知性

自分が儲かるという事

眼科に行き、医者に会うまでの20分の間に、説明もなく8000円分の検査をされて、その後ようやく「飛蚊症があるんです」という会話があって、細隙灯で見てもらい、それが網膜剥離では少なくともない、と思いますよ、というあいまいな結論となってしかも自分の視力すら教えてもらえずに終了して愕然とした。

 

これはなんなんだ。

 

というよりは、この検査の情報をビッグデータにして集めたら素晴らしいネガティブなデータが集まるのではないか。

「少なくとも飛蚊症には一切の検査は無意味だ」というような。

 

しかし、コスト的には初診で10000円というのは全く妥当な値段である。それを業界全体でシステム化した眼科は偉い、というだけの話だ。初診で来た患者の肺がんを診察と一枚のレントゲンだけ、4000円で診断するというような事が普通になっている日本の内科は、発展途上国の人から見ても夢のように安いと思われるだろう。もちろん初診なんだから盲目的に血液、心電図、尿、レントゲン、12000円分の検査をしたって認められるし、そういうのは大きな病院では普通だけれど、町医者にはそぐわないと思っている自分が貧乏性なのだろう。

 

日本の医療は出来高払い制度がほとんどで、鮮やかに診断すればするほど儲からないシステムだ。これはこれで良い。自分の美学を貫き通せる。ではその美学を患者が理解するかというとそうでもない。

 

下手なタクシーに乗ってぐるぐる回り道をされたら誰だって怒るだろう。

ところが医療に限ってはぐるぐる回り道をするほど客が喜ぶのだから、全くわけがわからない。