文京うまれ

自由と知性

後医は名医型治療

「後医は名医」などと言っている日本の医療レベルはまじ低いと思う。

 

でもアメリカでも「こいつら馬鹿ちゃう?」と思っていたのでどこでもそう思うのかもしれない。自分はそういう最悪な性格だから。でもめっちゃ頭いい人は人口の多いアメリカに若干多めな気がする。

 

ある病院で治療がうまく行かない患者がいて、何カ所か病院を彷徨ったらしいんだけれど、うちを見つけて来院した。「気楽に来るんじゃない」などとホームページに書いてあるので相当恐れて受診したようである。「気楽に来るな」とか書いておくと、本人的には困りに困った人が来るのではあるが、病状は大した事がない場合がかなり多く、ホームページに載せる文言としてはお勧めしない。「いつでも拝見します」と書いた方が、急患で興味深い症例が来るものだ。若い人はいつでも来院を、って書いておきたいところだが、文句言われそうで書いていない。

 

ところで気になったのだけれど、もとの治療は何も間違ったことはしちゃいないのだ。もともとその人の病気をコントロールするためにその副作用(嘔気)は出るよ、というタイプのもの。

ただね、それをきちんと患者に説明しない医者も悪いし、痛いのを医者に訴えない患者も悪い。

でも一番しょーがないのは、うちに来るまでの何人かの医者。(含大病院)

どいつもこいつも「逆流性食道炎」とか診断しやがって。

 

普通に病歴を聞けばそれは薬の副作用でしょ、でも原疾患あるから続けるべしなんだけど、そこを何とかしたいよねーと、主治医と患者との間に立って助けてあげるのが本来の後医の役割じゃないか?

 

「後医は名医」なんて言葉は糞だ糞。どういう思い上がりなのか、という話。

前の先生は間違っていない、患者さんだって間違っていない、ただその二人のコミュニケーションがうまく行ってないってのをちょっとサポートすれば解決する問題って多いわけですよ。後医はわき役に徹しろって話。

 

ほんと糞だわ。こういう言葉が生まれちゃうってあんまり良い事じゃない。

 

 

 

 

 

ただ、俺の仕事はこれで終わりじゃあない。

だって、たまに前医が糞だって事もあるんだからね。

だから患者は俺の説明で安心した顔をしていても、俺は油断しないで患者の病状をずっと観察し続ける。だから「気楽に来るな」って書いてんの。わき役はわき役なりの仕事があるわけだ。気楽に来るな=困ったら俺のところに来い、っていう意味だ。