文京うまれ

自由と知性

スターの再生産

芸術分野で活躍している友人が、
小保方氏擁護にまわっていて、
非常に戸惑った。

彼とて、もともと地頭が良い人で、
あの悪質さがわからないではないと思うがゆえに。

むろん無いものをあると言った事自体は能力の限界だろうからそれほど悪いとは思えない。
事実を検証するには不向きな性格ではあっただろうし、
それをきちんと修正できない組織の問題が大きいのはわかる。
それは結局修正されずに終わりそうだが、
しかし彼女の資質そのものを擁護していたのが印象的だった。

ところが別のところで、
彼が「芸術の死」について話していたのを聞いて、
どうして彼がそう考えたのか、が腑に落ちた。

芸術にもさまざまな分野があるが、それが死を迎える時がある。
それはスターを再生産できなくなった時だ、というようなことを言う。
そして芸術家自身がそれに無関心であることも問題だと言う。
(そういう意味では村上氏は非常に評価されるべきだし、実際評価されていると考える)


自分は科学分野に籍を置いている。技術というものは早かれ遅かれ誰かが開発する、というような類のものに思われるが、実際には折に触れてスターを生産するシステムが存在し、それの一つはノーベル賞だったろうと思う。ノーベル賞は今のところ機能しているかもしれないが、芸術にあれだけたくさん賞がありつつも、分野によっては死を迎えつつある現実を見るに、科学分野も危うい、と彼は思った可能性がある。それが小保方氏擁護につながってのではなかろうか。

医学分野では意図的にスターを作ろうとする。
すぐれた人間を「次世代のスター」に仕立てて売り出すのは良くやる事だ。いずれは頭角をあらわすだろう、を待たずにどんどん売り出すのは、案外医者というのは奥ゆかしい人間が多いためにスターの自覚を持たせてすら、「俺はいいです」と競争を降りてしまう人間が多いからだ。逆に少し自意識過剰な人間は医学分野では簡単に有名になることは出来る。そこが怖いところでもあって、本当の馬鹿が紛れ込むからみなさん注意してほしい。