文京うまれ

自由と知性

中途半端な記憶力

小学校4年ではじめて塾に行った。

 

「人間は、次の日には2割ぐらいしか覚えてませんから。だから復習が大切なんです」と先生が仰った。

 

え?8割は覚えてるだろ?という疑問。教科書を一度読めば不完全ながら全部頭に入ったから。知っているものを復習するのは苦痛ではない?
結局、先生の言うとおりに復習する事はせずに、才能のみに頼って現在に至る。
良いのは薬の副作用をほぼ覚えていられる事で、内科医として役立つ芸のひとつになっている。

 

一般的に言われる瞬間記憶能力と、自分の記憶力とは違う。

 

1)覚えようと思ったものは読めばかなりの精度で覚えられる。意味のない文字の羅列などは無理。これは瞬間記憶能力とは違うと思う。
2)翌日まで持ち越せるのが8割ぐらい。毎日そのぐらいの割合で薄れていく。最後にイメージが残る。
3)繰り返しても記憶は強固にはならない。
4)記憶容量に限界があり、ひとつを覚えるとひとつを忘れる。遠い過去の思い出も勉強部分に押しやられてほとんど失っている。容量が限られているので範囲が広い記述式のテストでは細かいところで間違う。したがってこの能力を有難く思ってはいない。

 

現在の生活で何に役立つかというと、薬の副作用などのマイナーな情報を不完全ながら覚えていられるので、患者さんの容体で心に引っかかるものがあったときに論文などを検索しやすい。
他科の教科書を覚えているので、専門外の病気でも対応できる。
誰がどういう発言をしたか、を覚えているのであとでちょっとした論争になったりしたときに答えを誘導できる。


文筆家の文章を読むと古典の引用が多いけれど、自分の記憶力はそういう能力ではない。完全性が欠落しているからだ。とても悔しく思って過ごしてきた。しかし医者としては役立つみたいだ。ある程度不完全であることが、悲しみの大きさ、苦悩などを少し和らげてくれるんだろうから。