文京うまれ

自由と知性

その症状は精神から

私はのどから

私は鼻から

私は精神から

 

みたいな人はいる。明らかにそれ精神で創りだした症状でしょ、みたいな病歴を自分で話すのに「私はなんの病気でしょうか」と俺に聞くのだ。

 

「いや精神ですよ」という言葉は確信をもって発言したほうが良い。自分の心にゆらぎがあれば相手はそれを感じ取るに違いないのだ。

 

そしてそれが精神からである、という事を保証するのは過去の俺だ。過去に患者を診た俺が危険な病気をすべて除外した、と信じるから言える一言だ。つまり俺は俺を信じている。

 

「いとこが癌になったので」

「やっぱり人の事ですか」

「心配で心配で」

「心配している自分を褒めてやるってわけにはいかないんですか。いかないんでしょうね」

「不安で不安で」

「血圧、体温、呼吸数、そういうのバイタルサインって言いますが、これに異常が出てこない時、あなたは正常に生きてます。不安に思わなくて良いですよ。ていうかどうして主治医に相談しないんですか?」

「あの先生は薬だけくれるんです」

「それ法律違反ですけどね」

「嫌なんですけどね」

「近いし、待たないから」(ほんと医療って崩壊寸前だよ。こんなのばっかだ)

「そうなんですよね」

「でも話してみなさいよ」

「そうですね」

 

夜中に来る人の半分くらいは精神から、な人なのはどうにかしたほうが良いよ。内科では親切に対応するにも限度がある。