文京うまれ

自由と知性

歴史家と歴史学者

トゥキディデスの罠*1」という言葉を世の中に思い出させたのはバラク・オバマ大統領だという事で、さすがリベラルアーツ教育をしっかり受けた人という感想。
自分が知ったのはごく最近で、新聞にこの言葉が煩雑に登場するからです。

 

ここで思考を飛ばして「歴史家」とはなんだ、という事を考えることにします。
歴史家として有名なのはトゥキディデスと同時代のヘロドトスで著書は「ヒストリア」が有名、てうかそもそもヒストリーという言葉を最初に使ったのが彼。

 

基本的に世界観が中立に近くないと歴史家としては称賛されないわけですから、つまりすぐれた歴史家が登場するには、その社会の成熟を待たないとならない。(でないとその歴史家は殺されるか、別の方法で歴史から抹殺されるから:著名な歴史家、が登場する年代、地域を見るとなんとなくわかる)


という点で20世紀以後の社会は恵まれているのかなと思います。私の本棚にもマクニールの世界史と、ウンベルト・エーコの世界文明講義は読まれないまま飾られています。素晴らしい装丁です。

 

トゥキディデスの罠」に嵌る事例も20世紀以後は極端に減っています。(日本と米国の戦争は残念ながらまだ成熟には達していない中で回避ができなかった事例)しかし常にその罠を歪んだ形でメディアを通じて目にする我々は良くない影響を受ける場合もありますね。ヘイト。それは何も生み出さない行為ではないか。

 

一方で歴史家の視点に立つことは利益に適う。最近では「歴史家」に相当する才能を持った人が大成功している例が見られます。
ケヴィン・ファイギです。彼は百科事典並みの知識が米国中のアメコミオタクに信頼されており、マーベル・スタジオを大成功に導きました。

 

学問でも同様の才能が教育を成功に導くとは思いますが、その点がややこの国の弱さか、という印象は持っています。

 

 

*1:トゥキディデスの罠
覇権国家新興国家が戦争不可避な緊張状態に陥る様。20世紀以後は戦争状態に陥らない事例もあるが、過去の事例ではほとんどが衝突に至る。経済戦争や国境紛争などで互いの武器をちらつかせる昨今の不安をオバマ以来使用するマスコミが増加している。