文京うまれ

自由と知性

平等とか不平等とか

中ぐらいの病院の孫息子だったので、僕が育った環境は、患者さんに囲まれていました。
恵まれない人、怖い人、色々おられる。便宜をはかって欲しい人も当然たくさんいた。

祖父も父親も薬屋の接待は受けない人で、医師会からもやや距離をおいていた。
臨床バリバリの人で患者さんがめっぽう多い。外科医ですから、つまり、
手術ばっかりしていた。大学病院より症例豊富でしたので、今役だってます。
手術後の患者さんがニコニコして翌日から歩いているような、そういう病院です。
疼痛管理が上手かったんです。
癌は縮小手術で、30年、40年フォローしても患者さんのQOLが良い。
40年前の医療がこれですので。
僕が現在のスタンダードではだめだと焦っている気持ちは少しはわかるでしょうか。
10年は進んだ医療をしておかないと。

あまりに忙しいと、平等とか不平等とか考えなくても、
すべての患者さんを平等に扱わざるを得ないです。
患者さんの重症度に従った平等さです。

それをしなかったのが有名な某先生で、お金持ちかどうかで患者さんを区別する。
「よほど暇なんだな」が僕らの感想です。

忙しすぎると、意図せずとも平等になります。
最適化をするとそうせざるを得ないんだもの。
だから、便宜をはかってくれという患者のことが嫌いになります。

忙しいことは、だから、嫌いじゃないです。
リソースの最適配分=平等だからです。
忙しくなくなることのほうが、怖いです。本性が出そうだから。