文京うまれ

自由と知性

人生をマネジメントする

自分は子供の頃から病気を良くしていまして、
間違いなくそれが自分の人格の根幹にあると思います。

病気をするということは、捨てる、諦める、考える、ベストチョイスをする、
を繰り返すことでして、
これはMBAで行う教育と同じなのです。
私がいとも簡単に決断が出来る、というのもボーっとしている瞬間がないからなのでしょう。
病気をしていると一瞬が大事なもので。

例えば体育を休む、などという選択をする場合には、
医師にその事をお願いしに行きます。
「体調が不良なので半年ぐらいは体育が出来ないと思いますが、その件について学校に何か一筆書いてもらえまいか」という交渉も自分でするわけです。
今自分が診ている子たちと全く違うのは、自分は割りと容易に自分の可能性をバシバシと切り捨てたわけです。あとで自分が割りと運動神経が良くてびっくりしましたよ。大学に入って気づいたんですが。
でも今自分が診ている子は、「薬でなんとかしてよ」と言う。
「捨てよ」と赤の他人からは言えないわけですよね。まあがんばれよ、と。
ところが「やっぱだめじゃん」みたいな事を言っている。
何か捨てなくちゃだめなのが病気だという事を理解できないのか、教育する人がいないのか。

幸い自分は捨てることが出来るように病気により育てられましたから、
人生の選択をしなければならないとき、欲張りになることなく、
常に分相応であった、と思います。
そういう選択を教えてくれる講座ってのはなかなかないですよ。

病気をしたことがない人は、だからMBAでも取れば良いと思う。
病気をしても、自分で考えることがなければ、それは損をしていると思う。
マネジメントが出来ない人はもちろん居て、世の中の半分の人は無理だから、
医者がマネジメントをします。あれやれ、これやれ。
でも出来るのにしない、という人が多いのも事実なんですね。
もったいないと思う。

じゃあ医者はなんなのか。
自分でマネジメントが出来ない患者さんにとってはマネージャーです。命令します。
あんまりそこでインフォームドコンセントっていうのが意味が無くなっちゃうんですが。
その気にさせればコンセントとった、っつー事で。
自分でマネジメントが出来る患者さんにとってはコンサルタントでしょう。
これはインフォームドコンセントの意味が本来の意味になってくると思います。

人生をマネジメントするための、善意のコンサルタントとしてどうぞ利用してくださいという話。