文京うまれ

自由と知性

理不尽さ

生きていると色々理不尽なことがあるだろうから、
それで困っている人をなんとか出来ないか、
というのが医者をやっている根底にあります。

若くして病気になるのは色々理不尽で不公平だなと思います。
仕事がうまくいかずに収入も得にくくなります。
公費で賄われるとは限らない。
そういう人々の時間をなるべく奪わずに、なるべく安く医療が出来ないか。
あるいはそういう人々に病気が襲い掛かる前にそれを回避できるよう
アドバイスが出来ないか。
そのためだったら24時間働くのは苦ではないのです。

そして死生観という事でいいますと、
ある程度の年齢を重ねた人々が病気になっても
それはしょうがないじゃないか。
自分が活躍する場ではない、と思っちゃうタイプなんですよね。
誰かがやればいい。

お年寄りのよりよい人生の幕引きをお助けする、というのも嫌いではないです。
ですので高齢者が嫌い、というわけではないのです。

しかし65歳以上で、欲張って健康でいたいという人々とは
完全に志向があわない。
もう歳いってるのですから私に頼らずなんとかしてくれと思うのです。
私は確かに患者の思いをすべて受け止めるタイプではあるけれど、
わがままを聞きたいわけじゃないのです。

圧倒的に老人が多いわけです。もちろん良い方もいますよ。
しかし5割以上は「わがままを聞いている」「ヤブ医者の後始末をする」という不幸な状態になってしまう。特に老人の初診はそうです。ほとんどが後始末です。

それが嫌なので、だんだん自分は医院の名前が外に出にくいようにして、
来るな、来るなと宣伝してしまう。
するとどうでしょう。
理不尽な思いをしている若い人々が、私のところにかかりにくいではないですか。
本当に申し訳無さそうに来院される。

いや、そうじゃなくて来ていいんですよ。
あと来ても良いのは、医者なんかかかったことない人々ですね。
医者嫌いの人は自分みたいなのにかかるといいんです。
医者が好きな人は来るな、名医が好きな人も来るな、でも困ってる人とか、
医者嫌いの人は遠慮せず来て欲しいんですよね。

そのバランスをどう取ればいいのか、ってのをずっと悩んでいます。