文京うまれ

自由と知性

知性は才能を乗り越えるための道具

高校生と話していた。

勉強の意味がわからないのだという。

(ちきりんもそんなことを言っていたなあ)

 

自分は、人生すべて勉強、それが楽しいから、勉強について語る資格はないかもしれないが、と前置きするところが大人っていやらしいね。

 

自分は人が大好きで、人を信頼している。例えば世界史が嫌いだつまらないという人は多いかもしれない。しかし多くの人を魅了する学問だという事は確かで、それをつまらないと思うという事はその真髄を理解していないからなんじゃないか、と思いつつ勉強していたんだけど、ほんとに面白くなったのは30過ぎてから、という身も蓋もない話しであるとか。

 

嵐の大野君は非常にダンスがうまいわけだけれど、例えば自分もマイケル・ジャクソンのスリラーぐらいは踊れるわけだけれど、自分のようなものがマイケルの踊りをコピーするには物理を理解しなければならない。重心はここに置きつつ、こちらに動作をするみたいな事を理解しないととてもじゃないと出来ません。才能を乗り越えるために知性を利用するんです、みたいな話であるとか。

 

しかし、勉強もいいけれど、家の手伝いはしろよ、と。

あのな、才能じゃどうにもならない世界はあるんだ。例えば料理な。

インド人の隣に住んでみろ。彼ら天秤を持ってる事を知るだろう。なんで天秤を持っているのか。それは正確な秤はタニタのそれではなくて、天秤だからだ。錘さえ錆びなければ未来永劫正確だからな。その正確なものをスパイスを量るために使う。カレーのスパイスの量というのは極めて厳密に決まっているんだが、それは彼らが食事を薬だと考えているからかもしれない。目分量じゃあだめなんだ。

先生がはじめて作ったカレー、二回目に作ったカレー、どっちが美味かったかって言うとはじめて作ったほうだ。理由はわかるな?手抜きをしなかったからだ。

料理っていうのは本来手が抜けないのだ。家の手伝いをするというのはそういう世界を知ることなんだ。やらない方が損じゃないか。アイロンも手抜きを一切許してくれないぞ。それは哲学だ。手伝いはやれ。

 

また勉強に戻るけれど、人生の意味がわからないときなんて誰でもあるのだ。ではどうやって乗り越えていくか。結局は信用するかしないかなんだと思う。自分はある先輩を信用していたが、その先輩が課するひどい課題をなんとかクリアして現在がある。なぜそんなひどい先輩を信用したかというと、学生結婚して4人も子供がいて生活に苦労しながらも頑張っていたからだ。今考えるとそれが人を信用する根拠っていうのもおかしいよな。しかしその時の自分が納得すればどうでも良いのだ。

 

君が誰をメンターとして生きていくかは自分が決めなさい。そのためにはいろいろな人と交わらなければだめだが。では医者は何のために存在するのか。医者は基本的な知識がしっかりしている人が多いから、物差し代わりにはなるんだよ。何か疑問があったら医者にぶつけて見給え。数人に質問しても全員から同じような答えが帰ってくる。つまらないかもしれないが、これが世の中の平均ぐらい、と考えればよろしい。すなわち物差しだ。しかし別の考えがどのくらい右によってるとか左によってるとか判断するには使えるんじゃないか?そのために医者は存在していると考えてくれていい。

 

今日の話は難しかったかもしれないねえ。みたいな雑談。