文京うまれ

自由と知性

間違ったことは言ってないのに泣かれる

コミュニケーションは一対多のつもりで行うべし、と患者に言う。

 

つまり患者からの言葉は、私に向けるのではなくて、みんなに向けるつもりで発すること。

 

逆に私からの説明も、患者一人にだけでなくて、周囲の誰か(いないけど)も聞いているかのように行う。

 

これは医療の公共性、決して一対一のサービスじゃあないんだよ、という事を教育したくてやってるわけだ。むろん実際には究極の一対一のサービスなんだけどもね。

 

さあ練習。

 

「風邪を引きました」

「風邪で医者に来るもんじゃないです。やり直し」

「咳が出ています」

「よろしい、で、他の人々はどう思うでしょうか。私は免疫抑制剤を飲んでいるのに隣の人が咳をしている!私死んじゃう!って思うことが実際にこの病院ではあり得ます」

「来ちゃいけないんでしょうか」

「本当の事を言うと、来ちゃいけません。ちょっと別室で待っていなさい」

 

「さて、いつからでしょう」

「一週間前からです」

「熱はどうでしょう」

「あります、ありません、あ、やっぱりありません」

「夜中の熱を測りましたか?」

「37度ぐらいでした」

その他、痰の色、咳の出る時間帯、特徴的な咳の有無、鼻水の有無、便の性状、食欲などを聞いて、診察をし、細菌感染ではなかろうと推測しました。

 

「あのね、まず電話して欲しいんですけど」

「気づきませんでした」

感染症というのはね、撒き散らすわけですね。インフルエンザだとか病院でもらっているひとが一番多いんじゃないでしょうか。病院が媒介場所になることは許せないわけです。ですから一人ひとりに感染症に関する基本的な考え方を教えないと駄目なんですよね。あなた同じことを6ヶ月前にやりましたね。その時も電話するように言ったはずなんだけどなー。そういう学ばない態度はほんと困るわけですよ」

「でも先生に助けて頂いて…」と泣いちゃった。確かに何度か別の病気治してるかもしれないが、それは風邪以外だ。風邪みたいなので気軽に来るなって言ってるんだ。来るとしてもちゃんと電話せよと。泣くの良くないわー。覚えないわけですよ。冷静でいて欲しいんですけどね。だからいつも人に見られている状態で話すつもりでいるべきなんですわ。これ冷静なコミュニケーションの基本ね。

 

今日の授業は失敗でした。なだめて終わった。