超一流とバカは紙一重
自分のアイディアを温める時に、
例えば臨床上のアイディアを実現させたい時に、
ここでは言えないけど今では誰もが使ってるテクノロジーを
最初に世の中に周知したのが自分だよ、というものがあるけれど、
それを世の中に出すためにどのくらいの時間がかかったかというと、
片や25年であり、片や10年である。
「最近の医療は良くなりましたねえ」と俺に言うのは一種の侮辱で、
「あんたこれを普及させられないって馬鹿じゃないの?」と言われているように聞こえる。そういう背景があるかもしれないから医者を褒めるときには主語を大きくするのはやめてください。「先生の説明は論理的で良くわかりました」ぐらいが無難な褒め言葉です。
このアイディアは確実に役立つ、と自分では確信していても、
本当に良いと認められて普及するにはこれだけ時間がかかる。
逆に、今良いと思ってやっている医療は10年進んでいるのだ、
と自分を慰めつつではある。
さて、俺にアイディアを持ち込んでくる人は多い。
「はい、なるほど」と聞きはするんだけど、
自分で苦労してデータを集めたり、医療機器ならば自分で作ったりしているのか、
を探りを入れていくと、まるで何もやっていない。
共通するように思うのだが、発想の根には、「嫌なたった一回の体験」とか「たった一回のひらめき」しかない、という事がほとんどである。
こういう人々は自分ではアイディアマンだと思っているから困る。
本当のアイディアマンが自分だとは言わないが、新規発想など毎日いくつもあって、
それからどれを切り捨てるのか努力するのが超一流である。
毎日大量のアイディアから、既出のものをまず取り除く作業がある。
そこでは膨大な論文検索がまず行われるからそこで自分の知識が自然と広がる。
残ったものをパイロットスタディにかけていく。
そのためには過去の自分の医療データは残しておく必要があるから、
自然と整理術は洗練される。
なんとか使えそうなアイディアが何十か残り、その中からさらに
次世代に使えそうなアイディアが残るまでには数年かかり、
それをやっと人に「こんなアイディアがあるんだけど」と口にする。
口にした時点でほぼそれは真実だと自分は確信しているが、
アウトプットの頻度としては前述のおバカさんとあまり変わらないため、
彼らは自分が頭が良いと勘違いしているかもしれない。
それで気軽に自分に話を持ち込むんだろう。
人のアイディアを聞いた時に、
これは使える!というものはすぐにわかる。
そして優秀な人は極端に少ないものだ。
ところが優秀じゃない人も世の中には必要なわけで、
「ああ、いいですねえ」と相槌を打って、「なんかしましょうかねえ」としなくちゃいけない。瓢箪から駒なんて事は、この世界には皆無と言っていいからその無駄なコストはかなり大きいのだけれど、
それも必要経費だよね、と思いながら生きている。