アートと市民
コンテンポラリーアートこそは
市民がその価値を見出すべきもので、
キュレーターだの業者だのにどうこうされるべきものではない。
大好きなアーティストを自分で探して、
パトロンになったり、(かっこいい)
パトロンにはなれずとも年間例えば10万円はアートの購入に宛てるといった行動が理想だと思う。
この絵は値が上がりますよ、というような投資としてアートを扱うような人々
プロデューサー
むろん彼らだってその背景にはアートの背後にある考えを普及させたいという思いはあるかもしれないが、果たして美術館はコンテンポラリーアートに対してどういうパワーを持つ?
という事を考えてみて欲しい。やはり金、金、金だろうと思う。
現代のコレクターだって、彼らのポジションとして、アートへの投資が有効だからやっている、という人が多い。子供の教育のため、なんていう人はものすごく少ない。個人コレクションの展覧会をやってくれ、とキュレーターに頼んでそれが通れば、それが日本の電波に乗って大きな美術館で行われれば、10億、20億の宣伝効果がある。
しかしそれで良いのか、と思う。
ほとんどの市民は著作権の二次利用とかキャラクタービジネスの方によほど関心があって現代美術に見向きもしないが、例えば銀座には有象無象のギャラリーがあり、1年365日、ありとあらゆる現代美術の展示が行われている。
アートには、狂気、侮蔑、歓喜、沈痛、喜怒哀楽をはるかに超えた情緒が存在する。それらの中に、自分のシミを見出したりショックを受けたりするがいい。