文京うまれ

自由と知性

問診票を使わないわけ

問診票の質問だけで傷つく人、というのがいます。

例えば「家族歴」なんていうものです。

 

症状については問診票で聞いても良いと思うんです。

しかし患者の背景因子を問診票で聞くことはデリケートな質問の部類になります。

 

患者が傷つくかもしれない質問というのは、それ自体が介入になり、観察とは言えません。介入とはその後の患者行動が変わるという事です。

婦人科や泌尿器科の先生はそのあたりはデリカシーに欠けることが多いと思います。普段聞きなれているが故に。時間がかかるからやってもいられないんでしょうが。その先生方には言ってないのだけれど、と患者から話を聞くケースは時々あります。

 

おそらく繊細な人々は自分のようなタイプと親和性が高いだろうことはわかります。私自身はロボット的でほとんど感情が表に出ないのも彼らにとってはツボなんでしょう。それでいて話の仕方は非介入的ではあるんです。私自身がそれを面倒だなあと思っているところも良いんでしょう。面白そうに聞くと患者は嫌がるものです。

 

やはり自分にしかわからないいくつかの記号は持っていたほうが良いです。親がいない、不明だ、というような場合に使えるような記号です。患者が触れてほしくないところを聞くのは一回だけにしたいものです。