文京うまれ

自由と知性

全く異常がない

「全く異常がない」という言葉をどう使いその後にどう言葉を続けるか、はその医者の哲学が反映される行為ではないか。

 

 

「全く異常がない」を別れの言葉として使う医師も多いのです。

うちには来ないでよ、という意味です。

 

 

ところが俺が見た瞬間、

 

 

「くそがっ、異常、あるじゃねーか」(それが見つけられるかどーかわかんねーし、命には確かにかかわらねーけど)

 

 

となる事が実際にはほとんどであり、たいてい最初が間違っている。

 となるともう、芋づる式にみんな間違ってる。

それで4件ぐらい経由した後で俺んとこ来る。

そうなると患者もプロの詐病師みたいに変貌していて、胡散臭い事この上ない。

 あんたその演技じゃあ、訴えかけないよ。

 

 

男と良い付き合いしてない女性の転落を見てるみたいで嫌なものです。

 

 

 


世の中には色々な覚悟を背負った医師がいて、

 

異常があるかどうかを評価せぬままに異常がないと言っちゃうタイプ

異常があるかどうか判定できない実力だけれど異常がないと言っちゃうタイプ

異常がないときちんと診断できるが、それ以上は言わないタイプ

異常がないときちんと判断している自分に疑問をもちつつ、患者には異常がないこととその場合の別の可能性までを説明するタイプ

自信満々で異常がないことを説明し、患者は詐病だと決めつけるタイプ

異常があるかどうかは判定できないが、詐病だと決めつけるタイプ

異常はないから別の医師にかかれとずばり言うタイプ

 

 

 

全く異常がない、の価値って明らかに低い。

 

 

 

 

だから、患者が「あそこでは全く異常がないと言われました」とか言ってるときには、

てめーふざけんな、生のデータもってきやがれ、と内心怒りながら、

「あなたがもしも自分の症状に本当に悩んでいるのならば、今までおかかりになった病院のデータは生でお持ちになり、私が詳細に検討できるよう準備をすべきだと思うのですが。でないと探索の輪がせばまるだけですよ」などと言葉だけは丁寧に言うのだ。

 

 

 

基本的に診断がつかないときには患者のほうに半分は責任があると思ってるタイプで、その理由のほとんどはきちんと自分の行動ログを取っていない事や、ちょっとした努力をしないことである。