文京うまれ

自由と知性

友達が作れない

医学部に入った時にすでに顔見知りがいた自分には想像がつかなかったのだけれど、たった一人で入学してきた中には引きこもりのような生活をしていた人がいたことを最近になって思い出した。彼らも結局は少人数のグループを作ったけれど、焦りはなかったのだろうか、と聞くと全然なかったらしい。承認欲求の強いはてなーとはずいぶん違うものだ。

 

たとえば自分と同じグループの男子は学校にずっと来ていなかったが、自分はそれに気づいていなかった。半年は実習がないからだ。おかしいと気づいてアパートに突撃する奴がいて、「お前何やってんだ」と声をかけたところ、「いや別に……」ぐらいの感じであって、そんなに自分がおかしいとは思っていなかったらしい。

 

これが私立だと学費が高いから親もある程度干渉するのかもしれないが、昔の国立医学部なんて学費は激安だから親だって数年留年したって全然問題なしぐらいに思っていたのかもしれない。なので親からは干渉されず、入学以来来ていないから誰からも干渉されず、引きこもっていても発見されないという事があるのだ。

 

ただ部活で人数が足りないと、誰でもいいから誘えって事になり、で、「こいつはどこにいる?」が発見のきっかけになったのだから人生はわからない。しかも引きこもっていた彼は病気でもなんでもない正常人で、単なる面倒くさがりってだけだったのだ。部屋から出てきたら女にモテモテだった。悔しい。

 

じゃあ変わっていたのはそいつだけだったか?というとそんな事はなくて、何人かいた。外界との関わりが希薄な人々が。良かったと思うのは、医学部というのは人数が他の学部よりも少なくてしかも6年間フィックスしている、という事だろう。むろん留年もするけれど、前後の学年との交流はかなりあるので問題はない。統合失調症を発症しなければそれなりの人間関係を築いて卒業するものだ。

 

医学部は変わり者が多いかもしれない。医者は変な奴が多いかもしれない。それでもなんとか人生を生きている人間が多いのは、24歳という年齢まで少人数で密着して教育を受けるからなのかもしれない。100人までの村は永続性はないと、民俗学の本で読んだ。だから必然的に6年で解散、がちょうど良いのかもしれない。

 

さて誰でも通信教育で医者になれる時代とか、選択制実習で数千人の学生が同時に教育を受ける姿を想像したら想像できない。なんなんだろう。そういう変わり者が切り捨てられる事が想像できるから、だろうか。