文京うまれ

自由と知性

どう死にたいの

「先生、この薬を飲むべきですか?」

「その前に聞きたいのが、あなたがどう死にたいのか。死のイメージってあります?」

「…医者がそんな事言って良いんですか?」

「なにゆーてらっしゃる。こちとら小学生のころからどう死ぬかしか考えてないです。むしろあなたたちみたいに60過ぎてんのにそういう質問にうろたえられるほうがびびります」

「そんなもんですか。はーーー」

「自分で死ぬ、っていうのは除きますと死ぬのは病死か事故死か、ここまではOK?」

「はい」

「で、天災に対する備えだとか覚悟だとか、例えば南海大地震津波だとか、そういう準備は出来てるってことでOK?」

「ええ、まあ、はい」

「じゃあ病死ね。癌か、動脈硬化になるわな、年取ると、必ず」

「え?」

「必ず!わかります?癌か心臓か脳か腎臓の病気で死にます」

「え?」

「ところが俺が診てるとどうなるか。ならないじゃん?途中で気づいて治しちゃうから」

「え?」

「なのよ。ていうかあなた、だからここに通ってるんじゃないの?みんな長生きしたくてここに来てるんじゃないの?」

「先生見立てが良いっていうから」

「あのなあ、同じことだろ」

「まあ、そうか」

「で、死なないわけよ、そういう病気でさ。でも安心しようね、って話」

「どうして?」

「80過ぎたら、免疫系の病気でコロッと死ぬから」

「はっ」

「いや、ほんとコロッと死ぬから。80過ぎた人は、風邪引いてコロリ」

「?」

「逆に言うと、80まではコロッと死ねないから。すごく苦労すんのよ」

「?」

「なかなか死ねないのって辛そうでね。見てるのも嫌。で、また前に戻るんだけれど癌で死ぬのと動脈硬化で死ぬのは80歳まではとりあえず回避するってのが俺の基本的な戦略で、そこまで生きたらあとは自由にしていただいて、そのうちコロッと死ねます」

「ほんとに?」

「するどい突っ込み。生命力があるとそうはいかないんだ。最近80が85になっている気がする。でも普通はコロッといく。苦しまない。っつーか、苦しめません。そこは自分は頑張りますよ」

「で?」

「で、言いたいことは、その俺の戦略にはまりたいってんだったらあなたはお薬を飲んだ方が良いです。飲んでないと10年後の動脈硬化の計算が立たないんだわ。俺の戦略とは別にとりあえず自分のやりたいようにやるんだったら飲まなければ良い。で、飲むんだったら近所の先生に手紙書く。俺が儲けたくて話してるわけじゃない」

「……」

「今決めなくて良いです。あと10年以上あるから」

「先生のーところではー薬は?」

「自分の生き方がしっかりしてる人はどこにかかっても一緒です」

「えーと、まだ良く分からないのでもう少しかかりたいんですが」

「それは構いません」

 

というようなやり取りをするんだけれど、

上の人はとても素直な一例で、

「私は死の準備は出来てる」なんて人が実は一番全然具体的な準備が出来ていないのではるかに時間がかかって面倒で、そして80過ぎると認知症になって、もっと長生きしたいとか言い出して、いろいろだ。