文京うまれ

自由と知性

なぜ指示した通りに来院せねばならぬのか

年に1-2度は顔をみる患者だけど、
飲むべき薬を飲まず、
受けるべき検査を受けず、
半ば野放し状態になっているので驚いた。

「なぜあなたは来ないのか」
「ぼけたからだと思う」
「じゃあなぜ今日来ているのか」
「わからない」
「冗談を言うのはやめにして、あなたがきちんと指示に従わないのはなぜか」
「たぶん自覚症状がないからだと思う」
「じゃあワクチンは受けないのか」
「受けます」
「検診は受けないのか」
「受けます」
「薬を飲んだほうが良い、ということや、検査を受けたほうが良い、ということとどれほど違うのか」
「面倒だから?」
「俺に精神的な苦痛を与えに来院しています?」
「そんなはずないじゃないですか」
「現に苦痛を感じています。あなた自分の家族が病気になっても苦しくないタイプですか?」
「そんなことないです」
「それが赤の他人であっても苦しくなるタイプの人間がいると信じられますか?」
「……?」
「まあ、婉曲的な言い方はやめましょう。でも不愉快だから診たくない」
「そんな事言わないでくださいよ」といいながら患者が俺との距離をほぼゼロにしたところでアウト。これはだめだ。

飼い主がちゃんとしたイヌのほうがはるかにましな医療を受ける。日本の患者の半数はこの程度のレベルであって驚くに値しない。コンピューター/ビッグデータはこの人の良き飼い主になるだろう。人間のほとんどはコンピューターに支配される。それは医療についても同じだ。しかしそのほうがおそらく幸せではないか。