文京うまれ

自由と知性

質的診断と存在診断

MRIは条件次第で局所の一定領域の性質を丹念に調べることができるので単一の性質をもった細胞が5mm立法あって存在がわかっていればその質を正確に診断が可能なのだと放医研の友達が言っていたのは10年以上前で、ただしそういう「条件」は職人芸なのだ。MRIは質的診断に今以上に大いなる可能性があるのだと。

造影CTは質的な診断をするためのテクニックの一つで、ひとつの領域の診断に時間軸を与えて血流の変化を見ることで精度を高める方法だが、造影剤を使う時には医師がつきっきりなので全員に出来るわけでもない。造影剤の値段しか保険上はプラスにならないのはおかしいかもしれないね。まあ、プラスになったらなったで質の低い造影CTがあふれかえることが心配だけれども。

さて、存在診断はどうだろう。
空間分解能はかなり上がって1mm以下にCTはなってきていると思うけれども、被曝量もそれに比例して大きくなってしまう。

空間分解能ではエコーは非常に高くて0.1mm程度まで10MHz使えば上げることは可能だが、質的診断の能力がまだ落ちる。やはり職人芸が必要。ただ、コンピューターアシストでEFを調べられるなど、診断能力は向上してきている。

空間分解能が高いエコーを使うと、CTを部分的には凌駕することは可能なんだけれど、ゴールドスタンダードとしては使えない。でも、まず存在を見つけない限りは質的診断にはもっていけないので、そこのところの習熟は大切でしょ。

内視鏡でも存在診断と質的診断って問題がある。僕らは存在診断能力が高いから質的診断まで持っていける。でもその能力が低い先生は永久に小さい癌が見つけられない。海外での解決方法は、「全部生検する」で、それも割り切り方としてはあり、だ。患者さんが出血のリスクを理解してくれているし、そういうことで訴訟は起きないことになっている、故意ではないから。日本では難しいかもしれない。コストも見合わない。

質的診断の前に存在診断が出来なければならないのは言わずもがなで、そこは結構おろそかにされているのですよね。