文京うまれ

自由と知性

ひとりひとねた

大学では内視鏡室で検査をしてるわけ。

で、患者さんとは一生で一度きりしかたいていは会わないわけだ。

そこでひとりにひとつずつ、その人の印象に残る会話をするってのがノルマ。



どうせ鎮静剤で忘れてくれるから良い。

覚えていると「次もあの先生」ってなるわけだけれど、それがないのが鎮静剤の良いところで。



スクリーニングの内視鏡で、やはり重要なのはピロリ菌の有無。

これを見ない内視鏡医は内視鏡医じゃないと思ってよし。

この人はピロリ菌がいない人だったので(見ればわかる)良かった。

ただ、ちょっとアルコールがなあ、という所見。

「おつかれさまでした。ピロリ菌がいないきれいな胃ですね。良かったですよ」

「ありがとうございました」

「ところで、伺いますが、焼酎派?」

「そんなことがわかるのですか?」

「消去法ですけれどね、わかります。ウイスキーやバーボンのロック、これはわかります。日本酒やビールなどの糖分の多いお酒、これもわかります。ワイン、これもわかります。そのどれでもない、が、10度以上ではあろうことははっきりしていますから、可能性としては焼酎、あるいはハイボールが残ります。焼酎のほうが人数的には多いですから、焼酎だな、と思ったんです。度数が高いほど食道がんのリスクが上がるので薄い方が良いし、週2日ぐらいお休みすると良いですよ」

「お見事です。焼酎しか飲みません」



内視鏡とかエコーに関しては、自分の検査を「妄想系」と呼んでいる。

「当たる占い」とも言っている。

所見から患者さんの過去を探る、というもので、全然突拍子もない事を言うのがミソ。

もともとは父親が腹部エコーで腎臓を見ていて、「ジフテリアを子供のころにしたね、ほら気切のあともあるし」と言ったのがかっこよかったで真似しているわけ。

昨日は子供のころからの下痢に正解を出したわけだけれど、それはもう忘れて書かないかもしれない。ひとりひとねた、なのでいくら継続して通っても、最初の一回きりしか発動はしない。みんな一生懸命通うわけだけれど、魔法は一回きりしか見られないのをみんな知らないで通ってるみたい。