文京うまれ

自由と知性

意識下鎮静の理想とは

昔書いた文章を読んでいたら、
どうして患者さんに苦痛を与えてはいけないか、
を考察していた。

患者さんに苦痛を与えていると、
拷問を加える側たる医者が、
自分を正当化するために、
患者を悪者扱いするようになるからだ、と。

なるほど。

胃カメラをするときの理想的な鎮静とは、
患者さんがばっちり目がさめていて、
なおかつこういう台詞が聞かれることだ。

「おわりましたよ」
「え?」
「おわりましたよ」
「いつはじまりましたか?」
「7分ぐらい前です」
「ずっと起きてたんですけど、いつはじまって、いつ終わったかわかりませんでした」
「やってることはわかったでしょう?」
「入っている事はわかりましたが、いつはじまって、いつおわったかはわかりませんでした。これは普通の胃カメラとは違いますね」

この台詞、自分よりも若い女性から聞くことは極端に難しい。
女性は麻酔の適正な量が予想しにくい上に、
若い方は咽頭反射や緊張が強いのだ。

僕の内視鏡が上手い、との噂を流すのがこの手の経験をした人々なのは知っているけれど、この体験は全員が出来るわけではないところが難しいところだ。

とはいえ、体験する患者さんにとっては
狐につままれるような不思議な経験らしい。

目が覚めていて何がおきているかわかってるんだけど、
何も感じないという状態を
自分もぜひ経験してみたいものだと思ってはいる。