文京うまれ

自由と知性

すらすら読めない

江戸時代の本は変体仮名だらけで読めないが、
明治大正にそれらを「翻訳」した本が出ていて、
それをさらに読む、というような事をしている。

のだけれど、すらすらっとは読めないし、
辞書にない言葉は出てくるし、
漢字は難しいので5倍は時間がかかる。

例:石川啄木の日記から
明治41年(1908年)1月21日
一月二十一日          於釧路
午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗つた。程なくして枯林の中から旭日が赤々と上つた。空知川の岸に添うて上る。此辺が所謂最も北海道的な所だ。
石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真に譬ふるに辞なき大景である。汽車は透迤たる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半此釧路に着。

これは「透迤」という言葉の意味を探していて見つけたんだけども、やっと
透迤たる(とうちたる)曲がりくねる様
と、別のソースを見つけて知るのだ。しかし僕が読んでいる本では
透迤たるに「いだたる」と振り仮名がついているのだ。わけがわからない。