文京うまれ

自由と知性

全然

「全然効かない」という言葉を患者さんが使ったときに、

その意味を深く考える。

「全然」というのは、一切のフィードバックを拒絶した重い言葉だ。

「ますます増悪」よりももっと重い。

あなたの医療は全く意味をなさなかった、良くも悪くも・・・そういう言葉だ。

なぜそういう言葉を使ったのだろう。その根本に医療への不満があったりするのか・・・、とか。

医療の提供者を無視したこの言い方はひっかかる。
あるいは意図的に攻撃しているのか。
何の気なしに使った言葉であっても、
必ず使った理由があるはずだと考える。

それとは別に、「全然」という言葉を使ったときに、きっと人は調子が悪いのだ。
なぜ調子が悪いのだろうか。

心理的な側面と、身体的な側面、両方悪くないと「全然」という言葉は口からは出ないだろう。
でなければ喧嘩を売っている人なのだが、通常わざわざ喧嘩を売りに外来には来ないから、
やはり前者だろう。

しばらく私が考え込んでいる。
大体5分ぐらいは考え込んでしまう。
過去のすべてのデータをひっくり返して見直してみる。
患者さんは沈黙に耐えられずにあれこれ話し出すことがある。しかしそれではまだ真実に迫らない。

今日の患者さんの訴えは、「おなかの調子が悪い」である。

具体的とは到底言えないこの訴え方が実は重要な気がした。「どう調子が悪いのか、下痢のこと?」と聞いてもなかなか答えられない。「動いていない気がする」とも言う。ところが、そうした機能異常に関するお薬こそ、普段処方している薬なのである。それでも調子が悪いと言う事は、何か重大な事が起きている可能性が高いのではないか。

胃潰瘍、がまず頭に浮かびます。胃潰瘍のような、しっかりした理由があるのではないだろうか」

「まさか、ちょっと調子が悪いだけじゃないですか?」

「いや、あなたは『全然』という言葉を使ったし、それから症状が漠然としすぎている。これはいつもの薬でもっと辛い症状がマスクされてしまっているのではないか。何かあなたに変調が起きているのではないか、と考えますし、だからあなたも来たのでしょう?」

「全然なんて言ってません」と患者さんは泣き出してしまったが、この方は悪性リンパ腫で、実はそれがだんだん悪化しているのだと、初めて語った。(悪性リンパ腫は知っていたけれど、治療の詳細を聞いても語ったことはなかった)

いつもは「薬だけくれれば良いんです」といった風情で何かがおかしいと思っていたけれど、語り始めればあとは出し切るまで私は聞くだけである。聞けばすでにうちの内視鏡の予約は入れてあるという。用意が良い。

「全然」という言葉からは、いつも物語が紡がれる。

外来では重要なキーワードだ。