文京うまれ

自由と知性

解剖学と生理学

大学に入ってみると、勉強しない人ばかりでまず驚いた。だいたい国立の医学部では現役組が少数派だというのも驚いた。どうりで試験会場がおっさんばかりだと思った。

自分も勉強は好きではないけれどそれ以上だ。もっとも教養課程だと勉強しなくても出来る教科がそれなりにあるからやる気にもならないのかもしれない。

ただ、自分が一番だと思っているBBAがいて、首席を取ろうとしているようだったので取りあえず阻止するために一応勉強はしておいて前期のテストで「君は一番じゃない」とだけわからせておいた。自分は性格がとても悪い。

首席首席に相応しい人間が取るべきだ。P君とU君のどちらかが首席なら良いと思った。彼らは真面目で授業もしっかり受けているし人格だって素晴らしい。そして奢ったところがない。取りあえず点取り虫や自信過剰な人間が増長しないように彼らにはトップは取らせない。自分は一教科ぐらいしか集中できない人間だから、点取り虫が得意な科目でトップを取って邪魔をする、というような事をやっていた。

医学部は若い方が圧倒的に有利なのはテストが記憶力ゲームになるからだ。3年以後の勉強ではあまりにも覚える量が多すぎるため、現役有利になる。だから医学部の専門課程になれば自然にP君、U君が首席になるだろうと思ったし事実そうなった。BBAは自分が出会った医者が自分よりバカだったから自分もなれるだろうと医者になった、というようなひねくれた根性の持ち主であったので、BBAよりも頭が良い奴は五万といることはわからせなければならなかった。(BBAは基本的に優秀なので、自分が一番という勘違いが直った現在はとても良い医者だ)

自分はというと、「自分が合格ラインだと思えるところまで勉強をする。それで60点取れない場合には出題した教授が悪い」というポリシーで勉強をした。幸いすべて合格していたから、大学の教授陣は当然のことながら優秀だったと言えよう。

解剖学と生理学は医者になるのにはもっとも重要な科目だと思い、一生懸命勉強をした。病理学は解剖学の延長であるし、ほとんどの臨床は生理学の延長だ。と、わからせてくれたのも教授陣であって本当に感謝している。

結局、6年間良く勉強したと思う。臨床実習になるとそれまでの解剖学すら実は大雑把な解剖であり、実際手術をするにはまだ不足だとわからせてくれる外科医であるとか、生理学を駆使して病態を説明してくれる内科医であるとか、指導者にはずっと恵まれていた。

国家試験前が一番可笑しかった。大学受験も「自分の教養で入るのだから特別な勉強は不要」と、特にペースは考えずに勉強をしていた。国家試験も同じで、「自分の知識があれば当然国家試験は通るだろう」と、自分のペースでいつも通りの勉強をしていた。

ところが周囲の盛り上がり方がすごい。良く試験にこれだけ情熱を傾けられるなあと思うぐらいに、普段勉強しない連中がきっちり勉強していた。医師国家試験は100%が取れない問題で、それが自分は本当に気に入らなかった。本当に均一な医師を作りたいならば、勉強すれば100%が取れるような問題にするべきだと思う。ところが実際には最高で90%、通常は80%、合格ラインは70%ぐらいの正答率であった。どんなに勉強しても90%だし、70%取れれば医者になれてしまうわけであり、これが本当に資格試験と言えるのか?と思っていた。運転免許のように95%で切るべき、と思うのだけれど。とりあえずそういう国家試験の問題をあまり自分は好きではなくて、試験対策は特にしなかった。結果としては自分より友人たちのほうが自己採点の結果が良くて、「君らは大したものだ」と感心した。ここ一発の試験で盛り上がれる、というタイプの人間が医学部には多いのだなあと理解したのであった。「資格」マニアが多いのも特徴の一つだ。

あれは一種の自己暗示であろうと思う。試験に向けて気分を盛り上げていくのだ。「俺は一番」「俺、最高」「今、ちょーいい感じ、いけてる」あの独特の空気をマスターすればだれでも医者になれるのではなかろうか。