文京うまれ

自由と知性

暖簾に腕押しな人々

人間ってのは、何か話したら必ず返答が帰ってくる、なんて期待していちゃだめだ。

 

 

それは友人がすぐ出来る人達のセリフだ。

外来にはコミュニケーションが一方通行な人が五万といる。

 

 

商売なのであるから、コミュニケーションが取れない場合には、

「異常ありません、以上」

でお金だけもらうという方法もあろう。

 

 

しかしそれを一種の学習障害と捉えると、コミュニケーションが取れないばかりに損をするのはハンディだと思う。

 

 

「例えば前回、医師が出した処方、こことここが前々回と違いますよね。その処方をするときに、医師は考えぬいて処方をするのです。そして必ずその差をみたいと考えます。ですからその次に外来を受診した時に最初にすべきは『前回の変更によってどのようになったのか』を誠実に話すことでしょう。これが通常望まれるコミュニケーションの方法なのですよ」

 

 

実際、フィードバックがなければEBMとやらを使用して医療をするしかなくなるわけで、医者は自動販売機と同レベルになるわけだ。

 

 

相手にされない、自分は損している、とひねくれ始めた初老の人々になるとなかなか修正は困難でお気の毒とは思うが、そう感じてしまう原因は自分が作っているのだという事に気づけば少しは前向きに考えられるだろうか。