小田原について
小田原厚木道路に荻窪インターチェンジが出来たのは昭和54年の事です。
村上春樹読んだことなかったんですが、日本が誇る大作家なので読め読めと友人が言う。
描写が露骨、という先入観があり避けてましたが。
そうしたらある一人が「騎士団長殺しなら小田原が舞台なので先生読め」と言うから、「ああそうか」と読みました。
そうしたらいきなり小田原厚木道路登場ですよ。良く知る風景が出て来てすんなり読めます。中学生が住んでいるのは益田団地のある斜面、て事で辻褄あう気はする。
性悪説
命が助かったときに、感謝するどころかこれに似たことを言う人々がいて、そういう人たちは一種の弱者だと考えている。
(お金を払わない、とごねる人々も病院には沢山いるそうだ)
きっと今まで「親切」「善意」に出会わずに生きてきてしまったんだなあと。
だからといって彼らはそれを変えられる年齢ではないし、自分も疲弊したくないので事務的に対応。
人生とバトン
外来が人生相談みたいになっているが、それも年をとったせいか。
子供を授かるという事は次世代にバトンを渡す、という意味と自分は考えているけれど、それは他人を教育したりすることも違いはないので、子供がいる事にこだわる必要はないのではないか、と言うとほっとしたような顔をする人が多い。
(結婚してみたものの、妊娠についての考えが夫婦で異なる場合は多い)
どうしても「自分の子供を」という人はいて、それが生物としての本能に近いのかもしれないが、彼らの心の中も複雑なようで、どうして自分の遺伝子にこだわるか、という事は言語化出来ない人が多いように思う。本能なら本能で良いのであるけれど。
自分は今はAIにバトンを渡すべく動いている。それはそれで意味のある事だと思うので。
こんな感じか
結論に違和感があったので書いておく。
Aクリニックでは診断のためにレントゲンは必要。手術前に呼気と吸気で2枚撮ったりブラをCTで評価するからC病院でのレントゲンは必要。効率の点で問題があったとすればB病院。
しかし、効率を優先するか、命を優先するか、を比較してみるとまた景色が違ってくる。
気胸は進行が早かったり緊張性気胸になったりして悪化することがあり、とりあえずトロッカーだけでも入れられるようになるべく早く近隣の高次医療機関に診てもらいたいと判断する場合はある。その場合にはB病院でのレントゲンも無駄ではない。
診察の効率化、という事を結論として持ってくるならばベッドコントロールが出来ていない大病院に緊急手術の可能性がある患者を送らざるを得なかった事が問題でレントゲンのデータの共有云々という話ではない。
レントゲンなどの情報共有など簡単だが、それをやったから効率化されるわけではない。医療リソースをどう振り分けるか、が重要かつ、高度な最適化が要求される問題で難しいのだ。