文京うまれ

自由と知性

勘について

私が経過を診ている患者の場合には膵臓がんについて勝手に心配するのは徒労であろうと思う。今までは上手くやってきた。逆に自分が検査をしようとしたところをいろいろな誘因で邪魔されて手遅れになった経験ならいくらでもある。年一回の定期的なエコーwwwなどで見つかる膵臓がんはない。前回のエコーが1ヶ月前であろうと、見ようと思ったときに見ることが重要だ。

膵臓がんをたまたま治る段階で見つけるには運が必要であるが、それは空腹時血糖が上がったなど、ささいな変化から超音波検査をしてみようか、と自分が思うことからはじまる。自分はそういう点では比較的強運に守られている。

膵臓というのは見るのが難しい臓器であるがゆえに、腕やモチベーションが大きく影響してしまう。したがって、「ここはきちんと見ておくべきかな?」と自ら思うことが重要で、患者から言われた、とか、CA19-9が上がってる、などの場合には「別の病院にかかってくれないかなあ、こちらには見逃したときの訴訟のデメリットしかないんだから」としか思えない。幸い訴えられたこともないし、膵臓がんがそんな理由から見つかったこともない。ひたすら自分の勘だけを信じてやっている。

乳がんについては患者の勘(不安)が結構当たるのとは対照的である。
胃癌は患者の勘(不安)が全く当たらない臓器であり、「絶好調」などとうそぶいてるおっさんを検査しておけば、いくらでも見つかる。