演技
冠攣縮性狭心症や睡眠時無呼吸症候群のあるBMI30以上の方が、まだ、タバコを吸っているということは、今まで医療機関でよほど揉めたりした過去があるのではないか、、、と医師は身構えてしまう。私もそうです。
その疑問を封じ込め、「今まで禁煙を勧められたことはないのか」という質問を禁句とし病歴を聞いていくと、必ずしもタバコを吸う事に対して重大な意識を持っていないらしく、単純に何も知らないだけなのかもしれない、というとりあえずの結論に。
禁煙指導までは問題ないとして、やめた後が大切。もっと太って心臓が止まるといけないし、運動しすぎて心臓が止まってもいけないし、バランス良く取り組んでいただきたいなと思いました。
その人の問題点リストを作ると色々あるんですが、例えば冠攣縮性狭心症が発症したり、肥満が進んでいたり、タバコを吸いはじめたきっかけがどうかなど、ストレスコントロールがきちんと出来ていない事が根っこにあるのではないか、と思いましたのでそのことを言うと頷いていたからそのまま話を続けることにしました。
ここから先が長いので省略するけれど、小学生から高校生までの教育では「能力が伸びる事」が一つの目安になるけれど、大人ではそういう視点が欠けている人が多い事が問題ではなかろうか。人間は死ぬまで成長する。どんなことでも良いのだけれど自分の能力が伸びたと実感出来るよう日々の生活に取り組めないか、という視点を持って人生を生きてみたらどうかしら?みたいな事を話すと良くわかりましたみたいな清々しいお顔になった。
ほとんど省略したが、とことん綺麗事しか話してはいない。けれど、タバコを吸っている方にほんの僅かも「どうして吸ってるの?」という顔を見せることなく「タバコを吸わない素晴らしい世界」の伝導者でもあるかのように滔々と語りかけると案外時間もかからないし、患者も「この医者はそういう人なんだな、責められてないし良いか」と思ってくれるようだ。
禁煙を勧める医者がタバコを嫌ってる人だと患者だって嫌だろうと思う。たいていこの後に、禁煙外来に紹介するんですけど、一番だらしない、俗物感あふれる先生に紹介している。そしてとても上手く行くのだ。
同調させなさい
親が癌になった、自分も胃が痛い、と来院する人があまりにも多い。
それで話を聞いていると、胃が痛くなる理由は、患者である親とぶつかっているからである、大抵は。
しかも病気になった当人がのんびりしているとか、家族の思った通りにしないとか、そういう事でイラツイているようなのだ。うーん、自分の周りには絶対ない事だ。
おいおいちょっと待ちなよ。癌は治らなくちゃいけない義務はないんだし、患者の理想的な振る舞いなんてものがあるわけでもない。ましてや採点する必要もない。勝手に価値観を形成しているが、あなたのそれは根拠がせいぜいマスコミだろう?がんばれとか言うのは医者に任せたらどうか。
「じゃあ親に好きにさせたら良いんでしょうか」って大抵は言うので、「そうじゃなくて、あなたの親が何を考えているのか、心を同調させてみなさいよ。別に好きにやってるわけじゃないかもしれないし」と言う。
最初は僕に何を言われたのかわからなくてきょとんとしてるんだけど、次回会った時には「元気になりました」とか言ってる。患者とぶつかってしまったら相手がどうしてそういう思いに至ったのか、その人生を、とりあえず家族なんだから過去は知ってるだろうから追体験してみると、まあ自分でもそう振る舞うだろうなと同調できるんではなかろうか。例えば自分が外来で5分10分患者と話すだけでも、この患者の振る舞いは全く理解できないと思うことは今までないわけで、それとは情報量が違うわけだから、よほどあなたの考え方が根本的に違うことがない限りはなんとなく親の考えは見えてくるんじゃないだろうか、というアドバイスだったわけで。
価値判断基準が偏っている人はそういう事で悩みやすいみたいだ。誰でも偏りはあるんだけれど、偏りはあるもので、それを戦わせる必要もない、という事がわかっていないとストレスになるようだ。政治家じゃないのだから、それはしなくて良い。
ポジティブさを作る
例えば高異型腺腫という、癌に近いポリープが過去にあった人がずっと内視鏡検査を受けなかったり、ピロリ菌を除菌した人が以後全く内視鏡検査を受けないことはある。「検査が嫌いですか」「先生のところの検査は嫌じゃない」「ではどうして受けないの?」「元気だから」「そうだね元気だね」という不毛な会話にも慣れました。高血圧かなにかで通ってくれている人は年間6回から12回は説得のチャンスがあるので良いです。
リスクがあるのに放っておいた人は確率的に癌が見つかることが多く、しかし癌が見つかると彼らはそれが想定外すぎてなかなか受け入れられません。では彼らは検査を受けなかったことを後悔するかというとそういう人は見たことがなく、単純に癌である自分が想像できないだけらしい。たぶん後悔はしないんだろうと思いつつ、もしも検査を受けなかったことを後悔させてしまったら可哀想な気がするので、検査をなかなか受けなかったことについては議論するのは避けたい。
そこで何をするかというと、説得して予約をして検査に来院した時に、さも彼らが自発的に検査を受けてくれた風に記憶を差し替える。「今日は検査なんですね、ちゃんと定期的に検査を受けるなんて良い心がけですね」などと。その時に「先生がしつこいから」と答える患者も皆無なので、たぶんそれで記憶の差し替えは成功してるんだろうと思う。
そうして癌が見つかった時に、もちろん彼らは最初キョトンとしているけれど「検査を受ける選択は正しかったと思います」などと言うと頷いていて、たぶん自発的に受けた検査で癌が見つかった、という風に記憶が作られたと思うので、それはポジティブさへの第一歩じゃないかな、と勝手に思っている。茶番と言えば茶番だけれど。
もちろん、こらえる
頭が柔軟じゃない人には、頭が柔軟じゃないですね、と言っても通じるわけがないというものすごく単純な事実がある。
アルコールをすごく飲む人が下痢をしていたりすると、そんなんアルコール+慢性膵炎を最初に疑いますやん。教科書の最初に出てきますやん。だからそれ言ったんですわ。「まずやめてみてくれるのも一つの方法かな?」って。
そこで普通はちょっと気まずいかな?という顔になって「それもちょっとは考えてまして……」ってしみじみとした感じになりまして、「でもねえ……」って遠くを見るんです。ちょっとかわいいじゃないですか。(まあ、ぼちぼち調べていきましょうか。良い方向に進むように考えていきましょう、みたいな流れに自然になる)
ところが「ちがう!!」ってすごい勢いになっちゃう人もいまして。「昔から飲んでるんだから違う!!」って。そこ笑うところかな?って思うんですけど、もちろんこらえるんですが。ま、すごいですよ。そんなにウィークポイントだったんかい。
問題は患者がどういう対応をとるかは、ひと目見た瞬間にわかるって事で、どうして自分はわかっちゃうんだろう、と結構不思議なことの一つ。(ちなみに勘はものすごく良いほうです)
2万円の壁
「生命保険に入るにあたり、すべて申告したほうが良いと思いましたので先生からご紹介いただき大腸内視鏡検査を受けた先生のところに行って保険に入りたい件をお話したところポリープは取っていないのだから関係がないと怒られてしまいまして不満です。私はもう二度とあそこには行きませんので先生が診てください」という患者がいたので、
「良いことを教えましょう。医者に通っていて、お会計が2万円以下だった場合、それは大きな問題ではありません。ですからそれは生命保険会社に申告する必要はありません。この判定方法すごく便利だと思いませんか?わかりやすくて。あ、これは3割負担のときの話です。うちはお会計安いですよね?すなわちどうでも良い医療しかしておりませんから来る必要もない、という事」
「先生は色々説明して下さるから良いけれど、私は不満です」
「あのね、普通の先生方は僕みたいに暇じゃないんですから余計な手間をとらせないで下さい。とても良い先生なんですから感謝しなさい。本来こういう事はあなたを勧誘した保険の人がアドバイスすべきと思います」
「そうなんでしょうか」
「あと僕は患者をあまり診ないからこそ暇なので、あなたを診ると忙しくなるから、遠慮させていただけないでしょうか。少なくともあと3年は来る必要がないと思います」
患者に来るな来るな言い始めた頃、来るなと説得するには説明を丁寧にする必要があるので却ってリピーターが増えて困っていたけれど、10年ぐらいそれを続けていたところ、やっと減りました。今は割合余裕があります。