文京うまれ

自由と知性

好きな医者にかかるな

「あなたはここに来るべきじゃなかった。あなたの主治医は立派な先生だから」と俺は言う。

「でも私は先生が好きだから」

「嘘を言ってはいけない。好きならばきちんと通うだろう。何年かに一度しか来ないというのは、普段ここに来るのが面倒だからだ。それを好き、とは言わない。俺には俺の患者がいる。そこに割り込んで来ないで欲しい」

「今年来ました」

「来てないね」

「来ました」

「あのさあ、電子カルテだからごまかしようがないの」

(ここでカルテにはdementiaがあるかもしれない、と書かざるを得ない)

「3月です」

「それ、去年」

「そうですかあ?」

「人間の記憶ってなんだろう。俺は、自分の記憶は信じない。すべて、記録している。ましてや俺より記憶力が悪いはずの皆さんがどうすべきか、わかる?」

「わかりません」

「あ、そう。まあいいや。で、あなたは主治医にかかるべき。立派な人です」

「じゃあ来てはいけないんですか?日本の医療ではそうじゃないでしょ」

(そんな事ばっかり知ってる…)

「そう、厳密には私はあなたを断れません。だから自主的に来ないで欲しいと申し上げている」

「でも私来ます」

「うん、でもね、実はここ辞めるんだ」

「よろしくお願いします」

「聞いてます?や・め・るんです」

「そんなの聞いてません。いつですか」

「年内ではありません。でもいつかやめる」

「それまでは好きに来ていいんですね」

「いや、だめです」

 

誰か止めてよ、これ~。

いい先生にかかってるんですがね。

どこかで認知のずれが起きちゃって、ある日行こうとなったらもう強引に来るんでしょうね。老人は受診制限したほうが良いと思う。彼らの正常な成長を妨げてしまうと思うから。

 

医師法では、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な理由がなければ、これを拒んではならない。」と規定されているとはいえ、それを拡大解釈してストーカー化している人が多くて洒落にならない。